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|---|---|---|---|---|---|---|
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ひとを元気にしてあげるのって難しいね。
関係が深いほど、言葉や態度が伝わらない
なんてこともあって。
やはり、じぶんのことは客観視できないから、
誰かがきちんと「状況」を見て
言って欲しい、なんてことはよくある。
それを伝えたいんだけど、うまくいかない。
ごめんね、ぼくの一番の友達。
***************************************
小さい子供に
「そんなことやっても意味ないから、やめて、地味な人生を選びなさい」
なんて、言えないよね。
子供は限りない可能性、に、溢れてる、ことになってる。
しかし本当はそうではない。
向いてないことは確実にあり、諦めた方がよい夢にこそ溢れている。
***************************************
知らないことを「知ったかぶり」するのはよくない。
けれど、しちゃうよね。
あと
できないことも「お任せください!」なんて受けることも
よくある。
そこらへんのさじ加減、ひじょうに難しくて、
できないことも、やってみれば意外にできる、ことは多い。
“直感”に頼ることになる。
嘘も方便。を正解にするには、
じぶんの中の声に従うこと、それで失敗しても後悔はしない。
***************************************
「それが現実だよ」みたいなことを、つい言ってしまう。
でも、ある人にとっては
「夢しかない」場合もあり、なんだこのオッサン、否定的なことばっか・・・
なんて印象を与えてしまう。
うまくいかない「現実」が多いから、多かったから、
そう言うのは確かで、私が成功者なら
「現実は変えられる!」を連呼するのかな・・・
***************************************
前に松下幸之助が好きだと書いたけど、
さいきんは「優等生過ぎないか」と思う。
ウラがない、ウソつかない、みんなのシアワセを思う・・・
それは立派だけど、
まじですか?
***************************************
そろそろ涼しくなってきて、夏の夜の夢は終わる。
夜の夢こそまこと、のシェークスピアが目醒める季節、秋。
つまり朝が来たわけだ。(Y)
2007年08月31日 08:48| トラックバック (0)| コメント(0)
企画を考える人、とゆうのは結構つらい。とゆ~のは、つねに「具体策」を求められるから。人と話していて、ぼくらは普段イメージで話す。具体的に、これを言おう、なんとことは、あまりなくて、喋るのが楽しくて、そのために喋っているから「イメージ的に」「だいたい、なんとなく」話をしている。夢や目標を語るときなども。こうなりたい、なんて「姿」「結果」は言えても「どうやったら」そうなれるかについては言わない約束になっている。しかし企画を考えるのが仕事になっているプランナーとかは、いっつも「こうやったら」目標が達成する、人を呼べる、ものが売れる、とゆうのを言わないと商売にならない。きのうデザイナーと話していて思ったが、デザイナーは、いいな!視覚的に思考できるから。ぼくらは文字で思考するから、どうしても「言わない約束」を破って顰蹙を買うことが多い。できれば顰蹙は買いたくない。なのに毎日「こうすれば、こうなるけど、こうしないから、そうならない」みたいなことを百万回言うので嫌われることもある。つらい。人間不信に陥りそうだ。そしてまた厄介なのが、こうゆう仕事をしてると、そうゆう思考回路が身に染み着いちゃって、ふだんから、ずっと「具体策」ばかり考えてしまうのだ。わかるかなあ?(Y)
2007年08月30日 17:52| トラックバック (0)| コメント(0)
小学四年生の子供の「ピアノ発表会」に行ったときの話。
幼稚園児~小学一年、二年、四年、中学生、高校生、大学生と
ピアノの先生の門下生が年齢順にピアノを弾いていく。
だから、最初は、ものすごい下手。
小さい子は、技術的にダメだから、しかし一生懸命、弾いているだけで
親や親類は満足する。観客は「早く終わんないかなぁ」って感じだけど。
そのうち小学一年生でも、アレッ!という巧い子がいたりする。
それはかなり目立つので、
というのはみんなヘタヘタの中で、まともに弾けているだけで
感心する。というか、感動する場合もある。
「こんなに小さい子が、ここまでやるなんて!」
中学生くらいになると、みんな「ちゃんと弾ける」レベルには達している。
が、こんどは「弾き方」とか「曲選び」とか「弾いている子の衣装」が問題となる。
ピアノ発表会では、「弾き方」と「曲選び」が論点となってしかるべきなのだが
じつは「衣装」は大事、もっと言うとルックスが大事。
可愛い子には、みんな注目してる。
可愛くない子は、やはり中学ぐらいだとつらい。
そして高校生、大学生の部となると
ここではルックスは関係ない。
というか、どちらかというと容姿が美しくない子が巧いと思った。
プロのレベルとか、そういうのは、よくわかんないんだけど
というのは弾き比べしないと、その場で、、そういうのはわからない。
ただ、このピアノ発表会で
ぼくを泣かせそうになったのは、ラヴェルのガスパールの夜を弾いた地味な女の子。
美しくない高校三年生だった。
生演奏というのは、視覚的なものが大きい。
だから冷静に音だけを聞くなんてことは、まずない。
そして生きていくことも「生演奏」なので
人間性とか仕事のスキルとかではなく
「視覚的」なもの、ファッションとか表情とか雰囲気とかスタンスとか
目に見える思いやりとか差別とか、
そういうのが決め手となって人生は執り行われる。(Y)
2007年08月30日 09:09| トラックバック (0)| コメント(0)
私は、いつも「お客様時間」で動いている。
(と、思っている)
でも、なかには、なかなか
「自分時間」で動いている仲間が多い。
(と、思っている)
さて、お客様にも、
かなり「自分時間」の人がいる。
そんな場合は、相当困る。
自分時間とお客様時間の
ちょうど中間くらいの
時間はないのだろうか?
今朝、我が家の息子は、
朝から携帯の目覚ましがけたたましくなりながらも
なかなか起きない。30分たっても起きる気配がない。
最後に起こしにいくと、
「なんだよ、わかってるから!」と
逆切れ状態。
はっぺたを2度はって(弱く)
逃げるようにして部屋をでた。
通勤電車に乗ったら、
お腹がいたくなった。
かなりやばい状態だった。
途中下車しようと何度も思ったが
こらえて、やっとの思いで
会社に着いた。
もう、限界。
1Fのエレベーターの矢印は上をさして上昇中。
ま、すぐ来るだろうと思って待っていたら、
7Fまで、上がって、ようやく↓が下へ。
当社は各フロア禁煙。7Fだけに喫煙室がある。
会社に出勤して、きっと一息という
ところなんだろう。
すぐ来ると思ったが
デスクのある4Fにやっと
たどりついて、トイレへ駆け込んだ。
何もない普段はいいけど、
状況が変わって苦し紛れに、
なぜか、腹がたってきてしまった。
これも、「自分時間」
こっちの「自分時間」と
あっちの「自分時間」の戦いだ。
ま、階段使う手もあったよね。
お互いに…。
いろんな「自分時間」の
ネジを巻きなおして、
臨機応変に
早めたり、遅くしたり
できたらいいと思った。
byMOK
2007年08月29日 17:44| トラックバック (0)| コメント(0)
6/22に、このブログをスタートして、休日と夏休み以外は
ずっと書き続け来たが、
今日はほんとうに書くことがない。
ちなみに、アメブロのおちまさとも、ここ2~3日、書くことがないみたい。
個人的なことを思いっきり書けたら、
ま、それでも書くことはあるんだけど、これは会社のブログなので、そうはいかない。
昨日に続けて、今朝も寝坊したんだけど
乗る電車がいつもと変わると客層も変わり、社内が一変していた。
やはり
六時台の電車は、枯れている、とゆうか
静かな方なのだ。街で言えば日暮里。
七時台の電車は、街で言えば渋谷みたいで、
ちょっとにぎやかで、ま、女の子もいっぱいいるからだが
激しい口論なんかもあって、みんな躁状態というか興奮気味。
やはり、音楽を流すべきだと思う。
クラシックのカノンとかチェロのソロとか、静かで落ち着く奴を
電車内で流せば、みんなもっと落ち着くし
毎日違う音楽をかけてスケジュールを公表すれば
電車に乗る「楽しみ」なんかも出ると思う。
8月30日です。おはようございます。
今朝は、
1965年録音 ヘルベルトフォン・カラヤン指揮、
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 交響曲第6番「田園」です、なんて。(Y)
2007年08月29日 09:04| トラックバック (0)| コメント(0)
けっこう不思議なことはあるものです。
今朝の話です。
ちょっと寝坊して、ぼくは
いつもの電車に乗り遅れそうでした。
6時45分に家を出て。
小走りに駅へ向かっていた、その途中で、
ラジオ体操帰りと思われる
母親と
小学校一年生ぐらいの女の子がいた。
なぜかぼくに「こんにちわ」という女の子。
知らない男の人ですよ、ぼくは。
そしてもう一回「こんにちわ」
母親もぼくを見てニッコリしている。ぼくはどうしていいか躊躇する。
しかし、もしかしたら近所の親子かな、なんて、ぼくは取り繕うように
笑顔をつくったわけです。
そしたら・・・。
とつぜん、というか、アレッという間に、
二人の姿が消えているんです。
それまで目の前にいて
声までかけてきた母親らしき人と女の子、
パッと消えちゃった。
ただそれだけの話だけど、
いやな感じはぜんぜんしなかった。
ま、幽霊の正体見たり枯れ尾花、みたいなことは
よくあるから
なんとも言い難いけど
なんか妙に爽やかな感じが心に残って、それも不思議でした。(Y)
2007年08月28日 08:56| トラックバック (0)| コメント(0)
週末、新曲のプロモーションで桑田佳祐が2つのテレビ番組に出ていて、こんなことを言っていた。
質問者「なぜヒット曲が量産できるんですか?」
桑田佳祐「既視感、デジャヴュとゆうか・・・もうこんな情報化時代だから全く新しいものはないんだけど、そんななかでも、初めて聞いても<どっかで聞いたことある>とか<懐かしい>とか・・・」
べつに新しい見方ではないけど、やっぱり、そういうこと。
「どっかで聞いたことある」というのは
「(過去に一回私を満たしてくれた)こんな曲、聞きたい」という潜在的ニーズに応えていることで。
マスマーケット、大衆は、ほんとうに新しいことは、求めていない。
というか、ぼくだって、ほんとに新しいモノは、怖い。
「懐かしいモノ」は安心する。
大切なのは「清潔か」「不潔か」みたいなこと。好きではないけど、桑田佳祐は清潔です。
また桑田佳祐の歌詞には「神様」「天使」が多い。
インタヴューの中で、神とか霊とかについても、ちゃんと考えている、みたいなことを言ってた。
*******************************
タイトルの「餡と匂いの木」=「あんとにおいのき」=「アントニオ猪木」は、
小学4年生の息子が見つけて、歓んでいたフレーズ!
*******************************
ほとんどの場合、
一人の作家や画家や漫画家がどれだけ沢山、作品を量産しても、
一生をかけて「ひとつの作品」しか作っていない。
いい意味でも悪い意味でも。同じことしか、できないし、言えない。
ガラッと作風を変えても、同じ。
つまり食っていく食っていけないは、置いておくとして、
ひとりの作家は一生に「一作品」オリジナルをつくればOK。
*******************************
「姿勢」が最も大切だと思う。
猫背にならない生き方、あわてて前傾姿勢にならない、ゆっくり喋る。
無意識と同化する。(Y)
2007年08月27日 11:25| トラックバック (0)| コメント(0)
世界陸上が開幕。
その前の世界水泳には、
いまいち盛り上がらなかったが、
100m、400mハードル、ハンマー投げ。
でも、あの為末が…。
レースの後の、あのうつろな眼は、どうしたのか。
そんなことを思いつつ、
昨日は、子供の陸上競技大会の記録会。
朝、競技場に送って行って、そのまま観戦。
子供は100mにエントリーしていた。
9組の予選の1組目で登場。
はじめての観戦なので、ドキドキしながら見ていたが、
結果は、8人中5着の惨敗。
走る姿が、なっていない。
腰は落ちてる、膝があがっていない。
はっきり言って情けなくなってしまった。
どうした、息子!
いつも練習さぼってるからだとか、
いろいろ言おうとして、もう一度
考え直した。
あの為末でさえ、ダメな時があるよな。
体調が悪かったかもしれないし…。
「出来て当たり前」
「勝って当たり前」
とあまりにも考えすぎていないか。
それよりも、
「人はできない」
のが普通だと考えてみよう、と。
自分ができるからと言って、
人が出来ないのを見て
つい、腹をたててしまう。
がっかりしてしまう。
だけど、最初からうまくいく人っていないよな。
いつも、いい結果ばかりの人っていないよな。
ということで、夕食を二人で食べながら、
まだ、いける!がんばって、もっと練習すれば、
いまは13秒くらいだけど、12秒5まではいくから、といったら、
12秒1~2まではいけると思うよ!
という自信ありげなコメントがかえってきた。
体調悪く、足も怪我してたらしい。
どっこい、侍ニッポンなのだ。
怒らなくてよかったな。
byMOK
2007年08月27日 10:54| トラックバック (0)| コメント(0)
夏の空ってかなりイイ!
秋冬春は、空なんてフツウなんだけど
夏の空は絵画的。劇的。陰影が綺麗、濃厚。宗教っぽい。
宗教画によくある劇的な空も、見本は夏の空だと思う。
そして夏の人間は、、どうか?
かなりイイ!
ぼくはそう思う。
夏は暑くてわけわかんなくなるから、
嘘がつけなくなる。
というか芝居ができなくなる。
そこがイイ。
冷静でいる必要など、ないのだ。
嘘つくのは、嘘つく余裕があるから。夏は余裕がない。ナマ。必死。暑くてしんじゃう!
こうゆうの、あと三日ぐらいだ(Y)
2007年08月24日 18:08| トラックバック (0)| コメント(0)
ゆうべ12時頃の蝉が、なんかへんだったんだけど、
やっぱ今朝になってみると、秋だね。
ひんやり、してる。
醒めるときは一挙に来る。
季節のこと、自然界のことと、人間のことを同一視するのはナンなんだけど
しかし人間関係の陰りも、一晩でくるよね。
ぼくら子供の時から五百人ぐらいと会ってきたわけだけど、
残っているのは数人でしょ。
ほとんどとは、すれ違い、もしかしたら「親友」とかになったり、愛してみたり、毎日2時間も三時間も話したりしても、たとえば職場を変わるだけで、そんな関係ぶっこわれちゃう。
夏は終わるよ。
法律は凄いね。殴り合いの喧嘩しても、離婚となると思いっきり躊躇するから。
たぶん同じことを繰り返す。
繰り返すのがよくないとか成長がないとか、そういうこと言うけど、
人生って同じとこ「彷徨うこと」以外のなにもないでしょ。
そりゃ、とりあえず常に新しい世界、新しい関係へ!
目は向けるさ。
けど同じ種類の人を求めてない?
同じタイプの仕事ばかりしてない?
同じモノばっか食べてない?
いつもね「国境線」にいるのよ、。それは確か。けどカリフォルニアからメキシコへ行く人は数人。
そして堂々巡りで悲観的な要素を覆す努力の仕方を、みんな知らない。
一般的で家庭的な幸福をシアワセだと思いこんでる。
洗脳されてるのにぃ・・・・
とりあえず夏は終わるよ、、、、また巡ってくるけど、今年の夏は終わる。
ぼくの花は来年の一月まで咲かないから、この秋と冬の前半は、
しずかにしてようと思う。
蕾でいよう(Y)
2007年08月24日 09:04| トラックバック (0)| コメント(0)
この写真、富山の庄川という川の上流にある溜まりです。
正確には
沼ではなく川だけど、
ぼくは「沼」と呼びたい気分です。
かなり美しい。
人間はもともと水に棲んでいたから、水辺にいると落ち着く。
リゾートが湖とか海辺にあるのは、
そのせいなんですが、
この「特別の沼」には、やはり特別の想いが棲んでいて、
それはちょっとここには書けないです。
生まれてから死ぬまで、人間かなりのことがあります。
それは覚えていられないくらい雑多で猥雑で
ほとんどが心がきしむ出来事だと。
こうゆうこと書くと、じぶんがひじょうにつまらない人間に思えてきますが、
というのは僕の大嫌いな「ステレオタイプ」な考え方であり、
誰でも言いそうなことだからですが
この特別の沼、この夏ひじょうに美しかった。
何度も行ったし、冬に訪れたこともありますが、
ここまで清浄で、清濁ぜんぶ飲み込んで、それでも「美しくいられる」と
そんな「状態」を伝えてくれたのは初めてでした。
ま、川だから、「流れている」、そこに理由はありそうです。
でもさ「写真に写る」ってことも凄いことだと思う。
目で見て「あっ、綺麗だ!」と思った夕焼けも
写真に撮ると、ぜんぜん写ってない、ことが殆どですから。
最近、写真は絵画より、いい加減なものだとつくづく思う。
写真は、じつは「心象風景」を撮る機会なのではない?
ともかく「聖」だけでは、ないです。
「濁」なじぶん、それとどう折り合いを付けるか、
いつもシャンとしていられるか、迷っていても醜くならないか。
「網膜的」な世界に、すべてが写っています、映っています。(Y)
、、、と、ココまで書いて思い出した。
近年、宇宙観測は「網膜的」に“見える”宇宙から
電波で推し量る“見えない”宇宙観測に移行している。というか、それが主流。
星や銀河やブラックホールは、それ自体、電波を発していて、
それは目には見えない。電波をキャッチすることにより、宇宙の見えざる姿を初めて目にすることができるようになってる。
今回の帰省の帰路で野辺山宇宙電波観測所というとこに行ってきたのだった。忘れてた!
つまり上に書いたことと大幅に矛盾するが
ほんとうのことは「見えない」のか。
じんせい、暗夜行路?
2007年08月23日 17:30| トラックバック (0)| コメント(0)
”伏龍” 希代の名戦略家と呼ばれた諸葛孔明は、
劉備の「三顧の礼」(三度の訪問)を受けたとき
その人柄に惚れ込み、また劉備の「赤心」に
ふれることによって軍師として仕えることになった。
この赤心とは、偽りのない心。まごころ。誠意。のこと。
それは時に、人の心を動かし、社会や歴史さえも動かす
きっかけとなることがある。
諸葛孔明は、以後、数えきれない程の活躍によって
持論である「天下三分の計」を実現させた。
そして、今、あるコンサルタントは、
次のように語っている
「「裏のないホンネ」で応えるお客様への愛情」
改革は改善とは違って、短期レンジで簡単にできるものではありません。
その改革においてコンサルタントは、
お客様以上にお客様の会社のことを考え、
本気で実現に向けて取り組む必要があります。
裏のないホンネ、
それが、私が考えるコンサルタントとしての
プロフェッショナル・マインドです。
裏のないホンネとは、表向きはお客様のことを!
といいながらも、実際は、売上げや契約のことしか考えていない
そんな邪念など一切なく、本当にお客様に対して、
純粋に力になろうという熱意があるということです。
もう一度言いますが、お客様よりも
私はこの会社のことを考えている、という姿勢こそが
お客様の心を動かし、
改革へとリードしていく原動力となります。
裏のないホンネ、そして、
「邪念のない心と純粋な熱意」
決勝戦で逆転満塁本塁打が
生まれた夏の高校野球
球児たちの心も同じではないだろうか?
「赤心」というより
「無心」が適切かもしれないが。
byMOK
2007年08月23日 14:50| トラックバック (0)| コメント(0)
五日間、夏休みで富山県に帰省した。
田舎のある人はわかると思うけど、地方って「文化」がない。東京にいたことのある人が、中途半端に都市の「文物」を持ち込むけど、それってまるで機能していない。
かといって地方に特有の文化があるかというと、そんなものは無い。魚が新鮮だとか、お米が旨いとか、人間が優しい、とか、そういうのはもちろん文化じゃない。
明治の頃からそうなんだけど、一部の裕福で成績優秀な人間が東京の学校へ行って、生まれて初めて<<<文化=自我の処理の仕方>>>に触れて、その凄さに愕然として、地方へ持ち帰ろうとするんだけど、それが上手くいった試しはない。それが二百年も続いている。
けっきょく「東京視点」で見るから、そうなるんだけど、一度東京に出てきた人間が「都会を知らなかった」なんてとこに戻れるはずがない。
ぼくが田舎に帰らない理由は
1.仕事がない
2.因習的な付き合いが面倒
というのを親には言ってるけど、ほんとうはそうではなくて、、、、
3.富山にいた頃のじぶんに戻れないから
なんだよね。
お腹がメタボで、今後の人生に変化が望めなくて、白髪が増えて老けて、、みたいな毎日でも、
「自我」だけは老化することなく成長を続けるようだ。
あっ、べつに悲観的になってるわけじゃなくて、、、 人生の問題の大部分は「自我=自意識」の問題。美しい自然を見て癒される、その先を見るか見ないか、それも自我の問題。(Y)
2007年08月23日 09:18| トラックバック (0)| コメント(0)
休みの間に
ふと、テレビで見かけた。
韓国ドラマ。
チャングム(よかったなあ、毎週土曜日が来るのが楽しみだった)
に似た匂いを感じた。
つい、二日連続でみてしまった。
チャングムの次の
「チェオクの剣」には、
期待をしていたが、
ちょっと、マニアックっぽく、
のめりこむことはできなかった。
NHKでいま放映中の
冬のソナタのようなドラマは
もう、よくわからない。
チュモンの物語は…だいたい、こんな感じだ。
時は、紀元前100年代、所は、朝鮮半島。扶余国の王となったクムワ。その三男として育ったチュモンは、長兄テソや次男ヨンポに比べ、意気地が無く軟弱だった。だが父の寵愛を受けるチュモンを憎んだクムワの正妻や2人の兄たちの様々な策略の末、ついに宮中を追放されてしまう。山中の牢獄で謎の盲目の男(ヘモス)に出会ったチュモンは、武芸を学び、強靭に生まれ変わっていく。クムワの王とヘモスの過去の関係、チュモンの母とヘモスの隠された関係、そして、チュモンと王子たちの戦いやそれを見守る女性たち…。
歴史、王宮、恋、骨肉の争い、平和
やっぱ幅広い要素がいいのかな?
韓国のドラマは顔のアップが多い、と誰かが非難していたが
確かにそうだった。
だが、それもなかなかいいと思う。
それと、ところどころに
はっとするようなキーワードが
ちりばめられている。
映像のコンテンツとしては、
よくできてると思うのは私だけだろうか?
プロジェクトXにも
似ていると思うのだが…。
byMOK
2007年08月22日 10:03| トラックバック (0)| コメント(0)
誰も言わないから、
ほんとうのことを僕が言うよ。
大切なのは「なにを言うか」じゃない。
「いつ言うか」
「どんな場面で言うか」
「どんな声で言うか」
なんだ。
つまり、なにを言うか、は、まるで重要じゃない。
主題やテーマなんで、どうでもいい。
大切なのは“様式”“スタイル”なのだ。
2007年08月17日 15:24| トラックバック (0)| コメント(0)
私は飯田橋の
白いビルの4階の一区画、
陽光の入らない
パーティーションで囲われた机の上にいる
白い鼠だ。
人は私のことを、
マウスと呼んでいる。
朝から夕方まで、帽子をかぶった男の手に握られて
夜の間だけ、解放される。
しかし、チューチュー鳴いたり、
チョロチョロ動き回ったりはできない。
ただのマウスだ。
私は毎日、帽子の男に
机の上で
コロコロ転がされる。どうやら私が動くと、光る四角い面の中で
ポインターとかいうのが移動する。
あるとき、やはり机の上にいる電話機に話しかけてみた。
「ねぇ、電話機さん。あなたはいいよね。だれかから電話がかかってきたときだけ、動けばいいんだから。それ以外は、ずっとお休み、ゆっくりしていられる。ほんと、ぼくは電話機さんがうらやましい」
電話機は言う。
「なにいってるのよ。あなた、じぶんがどれだけ幸福か知らないのね! あなたは始終、朝から晩まで帽子の男にギュッと握りしめてもらってる。私なんか、日に何度もかかってこない電話の時、ほんの申し訳程度に握ってもらえるだけ、、、、あなた、どれだけ愛されているか、それを思い知らなきゃバチがあたるわよ、、」
なるほど、と思った。
近くにいる大学ノートもボールペンも「道を開く」という松下幸之助の本も、
みんな私をにらんでいるようだった。
私は思った。
そうか、みんな、それぞれ帽子の男の思惑に影響されて生きてるんだな。
私はその日から、あまり自分の運命のことを厭わなくなった。
今朝も暑い夏の一日になりそうだ。
私は今も帽子の男に握られている。
ゆっくりと、スピーディーに、いろんな複雑な動きをさせられる。
そして、たまに嬉しいこともある。
きょうは朝イチで、お腹のほうのフタを開け、トラックボールを掃除してもらった。
きもちいい!
こんな気持ちいいことをしてくれるのは彼だけだ。(Y)
2007年08月17日 10:31| トラックバック (0)| コメント(0)
ちなみに…
貧しくなると、
品を亡くしてしまう人がいる。
いくら着飾っても
お金持ちになっても
品のない人もいる。
逆に…
貧しくても、
苦しくても
品を失わない人がいる。
昨日は、1日夏休み。
久しぶりに裏庭の草取りや
水まきをやりました。
やや荒れていた
我が家が、
ちょっとリフレッシュ。
今日から、また、
小さな仕事でも全力でやる。
予算がなくても
いい仕事をする。
やっぱ、
たとえ
貧すれども、
鈍にならず。
ということで。
by MOK
2007年08月17日 09:51| トラックバック (0)| コメント(0)
中沢新一が言った言葉。
『文系の最大の弱点は「自己愛」』
自己愛ゆえの「文系」だが、その「ゆえ」ゆえ、深みに嵌り、破綻する。
理系はといえば、やはり自己じゃなく他者に視点がいくから、
そういうドロドロ沼には嵌らないのだろう。
自己愛、、、、でも、これから抜けられる?
*******************************
たとえば強調するときのカッコは“「」”だと思いこんでいる私。
また名詞を入れるカッコを“『』”と決めないと
ルールのない不統一な文章になると、、、
世間的にそうだから恥ずかしいから遵守したい私。
そこから自由になりたい!
“{}”でもいいじゃない、“**”とかもね。
手が打ち込んだ記号をそのまま、そもそもルールなんて無根拠だ。
整理整頓の神経症的病巣、さよなら!
*******************************
かなり辛いことがあった。
しかしそれが相手に伝わっていない。
私は軽く見える。
でもそうじゃない[内面]を信じる馬鹿?
*******************************
よく不安になる。
不安、、ふあん、、フアン、、ファン、FUN!
1 戯れ,ふざけ
2 楽しみ,慰み,おもしろさ
3 [通例 be の補語に用いて] 《口語》 おもしろいこと[もの,人]
*******************************
ぼく自身に知的コンプレックスがあって
つまり「いんてり」じゃない自分にいつも付きまとわれていて。
その反動で
信奉している文学者や芸術家でも、不用意な言葉を吐いてると
「あっ、これって、頭悪い」と
離れたくなる。
きのうもある映像を見ていて、
とつぜん「この人は表面だけを語っていて」、「本質が見えてない」、「言葉に敏感じゃない!」「言葉が操れない」「言葉を知らない」、さらに「よく理解しないで雰囲気で喋っている」ことに気づいた。
自分はどうなの? ということもあるが、<<<勢いだけのパンク>>>や<<<技術不足の即興>>>、<<<五十年後にもたない今だけのセンス>>>はマズイと思う。いくら大衆が支持していたって、だめなモノはだめとちゃんと言えなきゃ。《Y》
2007年08月16日 09:11| トラックバック (0)| コメント(0)
思い出そうとして
なかなか思い出せなかった言葉。
NHKのTVを見ていたとき、
このキーワードにであった。
たしか
スペイン語だったか?
意味は、“経年変化の美しさ”
つまり、
古着のジーンズに愛着を持つように、
使うほどに馴染むもの。
時代が経ても色あせない
新鮮さと価値をもったもの。
ということだと思う。
パティーナ。
そんな存在でありたいと
この頃思う。
今日は終戦記念日。
早々とY君が
帰っていった。
2007年08月15日 18:16| トラックバック (0)| コメント(0)
最近、NBonlineの
「イノベーションで切り拓く新市場」
という特集に注目しています。
中に10分ほどの動画があり、それが、なかなかいい。
イノベーションが起こっている現場のライブ感が伝わってきて、
より詳しく解説しているテキストに対する興味が湧く。
そして、
「見る」、「聞く」、だけでは物足りない。
やはり「読む」、というのがあって、
より深い感動や発見、イメージの広がりがある。
次にどうするか、といった
自分自身の実行の道標にもなると思う。
動画&テキストでコミュ二ケーションのイノベーション。
それは、私たちの目標のひとつでもあり、
これから力を入れていきたい領域です。
世の中を支えているのに、
あまりよくしられていない商品や企業、
業界のPRには特に有効。
ますますwebに動画が
当たり前の時代、
ご興味のある方は、
お気軽にご相談ください。
byMOK
2007年08月15日 13:53| トラックバック (0)| コメント(0)
1.
お盆の真っ最中なのに、なんと訪問者数「100人」を超えている、
これは嬉しい。
もちろんどこまで読まれているかは判別できぬが
これは快挙よ。
2.
最近ぼくのまわりで禁煙する人が増えて、それはいいんだけど
「もらい煙草」が頻発。
ま、一本ならいいよ、一本なら何の抵抗もなしにあげるよ。
けど2本目もねだるのは、ちょっと、、、
それなら買いなさい、じぶんで。
くれぐれも人にもらう煙草は一本まで、にしなさい。
3.
オルタナティブって知ってる?
代替案とかいう意味なんだけど、グランジとかメジャーな音楽にまで
音楽用語として使われてて、じつはよくわかなんかったんだけど、
まさにオルタナティブってバンドを発見したよ。
それが「キャレキシコ」。
「ザ・ブラック・ライト」というアルバムを毎晩大音量で聞いてます。
日常を超える「国境」みたいなコンセプトなんだけど
これならほんとに“超えられそう”です。
4.
色あせるときって、急激だよね。
この夏の暑い盛りに、ジリジリ状況が変わるのかと思ったら
スパッとナイフみたいに現実に裂け目が出来た。
5.
現代版クリシュナみたいな人のビデオを見てたら、人間は五感で生きるべきで、それなのにマインドにばかり主導権を握られて、だから「味わう」「見る」「嗅ぐ」「触る」「聞く」が、まるでおろそかになっていると言ってた。マインドの呪縛は五感を摩耗させて、それが社会的な名声とかお金とか、そういうものに代替案=オルタナティブを求めてしまうんだけど、それこそ不幸だと。
しかしである。であるならば「動物に帰れ」みたいなことになるわけで、だったら人間(人類)の発展まるで意味ないじゃん。さらに、マインド=精神からの解放なんて、あり得ないよ、それってつまりは「自意識」からの解放ってことになるんだけど、そんなこと、言うだけじゃなく、ちゃんと「具体的な方法」示さなきゃ、説得力ないよ。そもそも精神世界系の人って、話をごまかしたりズラしたりしながら、永遠に話を続けられる人ばかりで、それに騙される人たちも問題だけど、いい加減、ちゃんと「戦術」いわないと誰からも相手にされなくなるよ、、、、、って、何百年前から、ネズミ講と同じである一定のひとは信奉しつづけるわけだけど。
てまあ、こんな感じて今日も暑い熱い篤い火に日になるの?(Y)
2007年08月15日 09:13| トラックバック (0)| コメント(1)
尊敬するコンサルタントの好きな言葉に
次のようなものがある。
「余白を持とう」。
それは、
好きな言葉というより、人生のモットー。
お客様から信頼されるには、方法論やマネジメント技法に
優れているだけでなく人間的な魅力が必要である。
その魅力は、常に100%ではなく余裕を持った生き方、
言い換えれば「余白を持った」生活・仕事から生まれる。
そして、その余白に色々な知識・常識・ユーモア・情熱等を
加えていくことで自身の人間的魅力も大きくなっていくと思う。
で、
私たちの仕事、コミュ二ケーションや印刷、
デザインにも余白を持つことが重要だ。
と痛感した次第。
顧客の満足も、感動も、
そして近頃流行のイノベーションも、
きっと、余白を持つことから
生まれるかもしれない。
常日頃、
余白を埋めるデザインに
追われるH君。
さあ、
余白を持った心で、余白を生む
デザインに
チャレンジしてください。
デザインのイノベーションが、
いま始まる!!
さて、
私の
好きな言葉
といえば、
「天地左右成り行き」
苦労も多いですが、
楽しみも多いです。
by MOK
2007年08月14日 17:29| トラックバック (0)| コメント(0)
8月の暑さは
子供のとき
の
夏休みを思い出させる。
子供は子供であるだけで
大人のようにかなり突っ込んだことも考えてる。
死とか季節の終わりとか嫉妬とか
ほとんど経験のないことにも
ちゃんと頭を使う。
まだ数回目の夏だけど
何十年も同じ暑さをくりかえし過ごした大人より
蝉の声を聞くし
入道雲を見つけるし
カマキリの首をもいだりする。
大人は始終「部下が自分に言った一言」が気にかかったり、
「雨が降ってる」ことだけで気が重かったり
「誰かの機嫌」を気にして神経をすり減らしたり、、、、
そんなことばかりしている。が、
子供は子供であるだけで
ただ子供であるだけで
清潔な身体と新鮮な脳を持っている。
8月は頭じゃなく、汗とか太陽で考える時間。
ほんとのこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり。(Y)
2007年08月14日 16:54| トラックバック (0)| コメント(0)
「吸血鬼」映画の最高峰と一部で言われるジョン・カーペンター監督「ドラキュラ最後の聖戦」を見た。そもそもジョン・カーペンターが撮る、とゆうだけで駄作なんてあるはずない。クリントイーストウッドから内面を取ったような、アメリカ人ならではのワイルドで暴力的な男が吸血鬼をグサグサ殺しまくるが、やはり彼も人間なので魔物であるところの吸血鬼には「素手」ではかなわない。相棒以外の仲間を皆殺しにされ、味方と思っていたバチカンの神父が実はドラキュラと手を結んでいたとか、また相棒が吸血鬼に噛まれ感染してしたとか、各種の困難に見舞われる。
たぶんテーマは別のところにあるが、僕は、吸血鬼の血に感染しながらも「人間であること」=たぶん典型的な荒っぽい「アメリカ人であること」、その点にしか未来への救いはないんじゃないか、日本人で言えば関西の近江商人が海外でも自分を曲げずアジア全域で活躍したように、自らのアイデンティティに疑問を持つことなく(つまり「じぶん探し」なんてすることなく)生きるしか、手はないよと、カーペンターが言っていると思った。
たとえばムンクの「叫び」も、統合失調症という「吸血鬼」に囚われそうになりながら、ムンクでいようとした絵です。ムンクは病気を人生の問題にしたとは思うが「じぶん」なんて絶対に問題視しなかったと思う。
この絵、色遣いが暗く汚く見えるけど、実物はキラキラしてるそうです。それは印刷物とかWebでは見えないんだけど、本物を目にすると煌めく感じの光があるそうです。秋から上野でムンク展あります。(Y)
2007年08月14日 09:26| トラックバック (1)| コメント(0)
やっと6回目の投稿。前は七夕でもうお盆。 七夕での短冊は願いをかなえてくれました。 今年の後半戦に備えてのハーフタイムは真近。 気をつけなければいけない時間帯である。 今週は先祖を敬い16日の盆送りには帰省を、と思う。 毎年必ず戻り、祖父や祖母の笑顔を見に行く。 そして変わらぬ田園や湖をみてきたい。 またきっとエネルギーもらい、江戸へ帰ってこよう。(nem)
2007年08月13日 21:33| トラックバック (0)| コメント(0)
文京区のタウンガイド
2冊各12万部、11月末発行!
その完成までを追うリポート
第1回、
いよいよTCNで
20日(月)放映予定!
お楽しみに。
もう少し詳しくは、TCNキャスター
たばちゃんのページまで。
http://tcn-catv.easymyweb.jp/member/tabachan/
byMOK
2007年08月13日 15:50| トラックバック (0)| コメント(0)
しんとしている、飯田橋。まばらに歩く人はいるけど、みんないつものように足早ではなく、ゆっくり・・・。せかせかしてるのは廻りの「人」の影響なんだね。
毎日行く喫茶店も閑散としていて、ウエイターの数も普段より少ない。珈琲館のウエイターは5人から2人に減った。
今朝は女のウエイター、正しくはウエイトレスだけ。2人。どちらも紺色の短いスカートに薄い茶色のシャツを着ている。
ふしぎなことに店内に座っているのに、ふだん聞こえない・・・たぶん意識していない・・・蝉の鳴き声が小さく聞こえる。ミーンミーンではなく、ジー、という声。
ブレンドコーヒーがテーブルに運ばれてくる。いつもは顔を見るなんてこと、せわしさの中、まずないのに、今日はウエイトレスが僕の目を見て微笑んだ。
そして紋切り型のセリフ。「ロールパン、クロワッサンと卵が食べ放題となっていますので、店内中央のカウンターからお好きなだけ、お取り下さい」
去っていくウエイトレス。
二十分くらい時間をかけてパンを食べ、コーヒーを飲み、煙草を2本吸った。その間もジーという蝉の声は止まない。ただ鳴き声が小さく大きく、微妙に音量を変えているふうに思える。
そろそろ会社に行くか、と席を立ち、会計のカウンターに近づくと、さっきのウエイトレスが近寄ってきて。代金380円を支払う。
客から声をかけられ「すいません」と言って背中を向けたウエイトレス。・・・そこで、僕はちょっと驚く。ウエイトレスの背中に蝉。しがみついている。
言ってあげようか、と思ったけど、向こうへ行ってしまったウエイトレスに言うタイミングがつかめず、店を出て会社まで来てしまった。(Y)
2007年08月13日 08:50| トラックバック (0)| コメント(0)
トヨエツ(豊川悦司)が透き、、いや好き。透いてるから。透明感あるよね。たぶん本人はベタな人柄っぽいけど、画面に映ると寅さんみたいに私生活を微塵も感じさせない。あれが才能。役者の天分。
ゴマキも透き、、かなり好き。つんく(モーニング娘)のつくった歌を歌っても、ぜんぜん響かないけど、山口百恵の歌をうたったら最高。「秋桜」とか。昭和の70年代ぐらいの歌謡曲、一人で孤独で内向的な女の子の気持ちを後藤真希は「透明」にする。土曜18時のミュージックフェアに出たら必見。
やはりスターは透明感。生活感は必要ない。あるかないかギリギリの存在感、テレビに写らなきゃ死んでしまうような、ううん、テレビにしか写らない「魔法」
魔法といえば、四面楚歌の人生をぶち抜く、壁をスルリ通り抜ける、そんな手があったことを思い出させてくれた「S氏」。やはり見えているモノだけを感じてちゃだめだね。
「ほんとうのことは目に見えないんだよ」と星の王子様は言ったが、「見えたモノは、なくても本当」。四面楚歌を見せているのは昼間の光。夜にすれば良いのだ(Y)
2007年08月10日 09:03| トラックバック (0)| コメント(0)
きょうは朝から、みんなにテンション低い、と言われる。どうしたんだろう。けれど自覚症状もあり、今の僕の脳内にドーパミンは流れていない。たぶん気分というのは脳内物質で決まるんだろう。ということは普段、元気良いのも、ぼくのせいではなく、脳のおかげということになる。
そして、ひとつ発見があった。ぼくは不潔恐怖症だが、このテンション低い状態だと、不潔なモノが気にならない。つまり普段の「気分が高揚してる」状態だと余計なことが頭を悩ませ、気分が沈んでいると「余計なこと」にかける感情も少なくなるということだ。
「節電モード」で生きていく方が、ラクなんだろうか? (Y)
2007年08月09日 11:37| トラックバック (0)| コメント(0)
女の人の顔にヒゲがたまに生えている。遠くからだとわからないが、近くだと、しっかり生えている場合がある。というか今日久しぶりに行ったカフェドクリエに髭のあるボインがいた。話をしたことはないが顔見知り、という微妙な関係で、お互いに距離を計っているみたいなところがある、かと思えば無視もするし、わけがわからない。人は人のことを好きになると思いとは逆のことをする。(Y)
2007年08月09日 09:09| トラックバック (0)| コメント(0)
ひとの顔が好きで、気づけばいつもひとを見ている。いい顔ですね、なんて言われるひともいるけど、そんなことはぜんぜんなくて、どんな顔も、いい顔だと私は思う。女優とか俳優なんてひとたちの顔は、ちょっと特別で、「見慣れている」ことから脳が特別の反応をする。しかし私はなるべくそんなふうには感じないで、朝のフィリピン・カフェにいるふつうのOLの顔やメタボリックな身体がブルンブルンしている中年サラリーマンの顔も、みな、いい顔に見えている。たぶん顔は、みんな懐かしい。どんな顔も、断片的に思える現実から、生き物としての人間に回帰させる、そんな「ふるさと」のような記憶に結ばれている。抱きしめたりキスしたり打ち明け話をしたり、無言でそちらを見ているだけで、ぼくは無数の顔にむけてモノローグをする。たぶん戦争が起きて世界が終わっても、ふるさとと呼ばれる地球(ほし)が消えても、顔の記憶は消えないと思う。地球も、じつは顔を持っている。ぼくはあなたの顔も好きです。あなたの顔が好きです。よかったら飯田橋の白いビルの4階に顔を見せに来て下さい。とびっきりの笑顔で迎えます。(Y)
2007年08月08日 09:21| トラックバック (0)| コメント(0)
なんか、いま世界はすごい暑いらしく、昼飯から戻ってくる先輩みんなが「暑い、暑い」を連呼していて。
そろそろ終戦記念日なのでTVは特攻隊とか言論弾圧の話をして。
朝青龍の抑鬱状態がモンゴル帰国を現実的にし。
でも「打たれ弱い」のは日本人の特性ではなかったのか、モンゴル人はチンギスハーンじゃないのか、、、、私の前の席のY田さんはコンビニで買ってきたハーベストをサクサク食べながら、13時に来社する美人クライアントとの夢想をし、後ろの席のM月さんは、なんかやけに静かだ。
同情論、に、ついては、私も美人クライアントと充分話している。Y田さんは、いったい何の話をするのだろう?
ところで電車に乗り遅れた弟(おとうと)弟子は角界を引退後、保険営業を志すも、兄弟子の今回の、あまりにも右往左往ぶりに「あぁ~、青龍(しょうりゅう)兄さんは、天然・素直でいられて、うらやましい!」を連呼したとか。
やっぱりホームまで走ってきて、目の前でピシャリ!電車のドアが閉まると、誰だって暗くなる。が、その電車に乗らなかったせいで[思わぬ良いこと]があると、神様は事前に教えない。(Y)
2007年08月07日 12:24| トラックバック (0)| コメント(0)
中学ぐらいの時、
ピカソは難解だった。というより、なにがなんだか分からない、し、
美術の先生に聞いても、はっきりした説明は聞けなかった。
つまり先生も「わけわかんな」かったわけだ。
今は古典的な美術では描けなかった「印象」を超えて「心象」まで描いていることを
たぶん誰でも知っているが
昔は(30年ぐらい前)は、そこまで分析的に大衆に説明されることはなかった。
たとえば音楽にしても「印象派」とかは最初、理解されにくかったろうし、
話が飛ぶが
「ハードロック」なんかは、大人は『騒音』にしか聞こえなかったし
子供だって『ジャリ・ロック』と呼んで
敬遠しながら聞いていたものだ。
美術史とか音楽史とか、文学史とか、そういうのが大衆に向けてキチンと語られるようになったのは、
ここ十年ぐらいじゃないのだろうか。
人は連綿と続く歴史の中で、歴史という「物語」の中で
説明されると、
ひどく「わかった」ような気になる。
実際、「断片」的で、整理されていない状態よりは、
確かに理解しているような気がするが
ひとつ、落とし穴もある。
それが、ステレオタイプ、ということ。
みんなに分かりやすく語るために、これまで「知っている概念」「周知の沙汰な世界観」の中に、曖昧で濃密で本来説明不能な世界観を“当てはめて”語ること、すべてが紋切り型になること。
だから今は「クオリア」とかいって、、、私たちの感覚に伴う鮮明な「質感」とかが取り沙汰されるわけで、、、じっくりと時間をかけて、言葉で説明できないところを見過ごさないで、心も身体も「感じている」こと全部、見ていこうという動きがある。
説明し尽くされている、なんてことは、やはり絶対無いわけで、それは「じぶん」のこともそうで、あきらめないで「しぶとく」人生に当たることも、感覚的に直感的に振る舞うことも、計算ずくで「利益尊重」型で生きることも、じつは“同じこと”なんだよ、運命の流れのなかでは。(Y)
2007年08月07日 09:06| トラックバック (0)| コメント(0)
この頃、増えている。らしい。
でも、どちらかと
いうと
ミーティング&ランチかな。
先日、住んでみたい町アンケートで
上位に選ばれたといわれている豊洲にある
企業のビルでの
ミーティング後ランチ。
36階からの格別の眺望。
久しぶりに
いい気分にひたった。
ランチしてる人たちも
かなりいい雰囲気の方々ばかりで。
社員だと思うけど、
みな、きちっとした様子。
その
ランチタイムが仕事関係者の親睦と
モチベーションの向上に大貢献!
わが社も新社屋が
できたばかり。
ランチミーティングでも。
ミーティング後ランチでも。
もしくは、
ミーティング&ティー。
ミーティング&スウィーツ
なんてのもいいかも。
本当は、ミーティング後ビア。
夏だから、
それが一番だが。
昼食の後で…
by MOK
2007年08月06日 14:18| トラックバック (0)| コメント(0)
うちの息子(小学四年生)のクラスで夏休み前、アンケートをした。
問い・・・休日に、親と行きたくない場所は?
【3位】「ショッピングモール」 ~三和とかイオンとかグランベリーモール
【2位】「丼屋さん」 ~吉野屋とか、かつ屋とか
そして堂々の
【1位】は『スターバックス』(~タリーズでもドトールでもなく、、)でした!
理由は「メチャクチャ退屈だから」とのことで、パパ・ママはじっくり時間をかけてラテとかカプチーノ飲んでいるが、「それはそれで勝手だが」、「やることのない」子供は仕方なく横でゲームをしているという。
去年末、割と学校近くにスタバが2店舗できてからの現象なのだろうが、そんなに親たちはスタバが好きなのかと思った。また近くにドトールがあるが、なぜスタバなのか、それもなぜ?
たぶん、みんな煙草吸わないのだろう、そうじゃなきゃスタバで長時間いられない。さらに、よっぽど行くところがないのだ。
子供が親と過ごすのは遅くて小学5年生か6年生までと言われている。週末ベタベタに親といるのは小学校4年生が最後じゃないのか?
ぼくはスタバで育った子供は、いくら一流大学を出ても、乳脂肪分の多いラテみたいな人間になると思う。中途半端な脂肪分の中途半端な富裕層、中途半端な全体主義。やっぱり子供はドドールに連れて行くべきだよ、、、、、けして旨いとは言えないが、
「180円なら、旨いかもしれない!」という微妙な味が、ちょい負け気分の価値観が、甘っちょろい脂肪分人生を燃焼させる(Y)
2007年08月06日 09:22| トラックバック (0)| コメント(0)
古い話だが
香港が中国に返還される直前、いわば香港の大ピンチというとき、
ある新聞によると「香港人の100人に70人がチャンスだと考えている」との記事を掲載した。
また最近のスピリチュアルブームで、続々と出る自己啓発本の霊的進化型の書籍の約7割に
「ピンチこそ、最大のチャンス」「これまでを一掃する機会だ」と書いてある。
まじですか?
一部を除き、元気のない世の中だから、
元気の出そうな言葉にすがりつきたくなるし、書く方だって「受け」を狙うから、
そう書いているというのが大半だと思うが
たとえば中国に返還された香港が幸福になったというは話は聞かない。
チャンスというのは一部にしか、降ってこないのか?
私なんか一時期、ピンチの豪雨だったときがある。
まったく目の前が真っ暗になるような人間関係と仕事の不具合の連続、
やればやるほど深みにはまっていく絶望感で
屍みたいだった。
チャンスの位置づけというのは、大きいも小さいも無く、ほんとうに「機会」なのかどうか判断できないまま、後になってチャンスと気づくのが実際なんじゃないか…。
やはり一部にしか降ってこないほどチャンスというのはケチじゃなく、みんなに降ってるけど「チャンスの神様」は逃げ足が速いので、つかまえそこなうのではないか?
私は一時期の大ピンチから、数ヶ月後、大チャンスに見舞われ、かつてない好状況を迎えた。しかし、また1年後またどん底に、みたいな……。
たぶんピンチがチャンスというのはレトリックである。しかしレトリック(修辞:文章表現の効果を高めるための技術)に救われる、レ+トリック? そう、言葉のトリックで現実を高める。。。ピンチがチャンスにひっくり返るというのは、ピンチ=チャンス、そもそもピンチもチャンスもないことまで教えてくれる、とゆうか、、、、、やっぱりピンチはチャンスなんだ!(Y)
2007年08月03日 09:02| トラックバック (0)| コメント(0)
また電車?
もういやだよ!
町田から飯田橋、
毎朝1時間40分かけて通勤する。
帰りは1時間15分ぐらいのこともあるので
合計で<2時間55分>。これが毎日まったく無駄な時間。
3時間をぼくは電車に取られている。エンデのモモでいうところの
時間泥棒
ほんともったいない。音楽を聴いてくるが、もうどんな音楽にも飽きた。
最近は絶対に本を読むことはしない。本はじっくり読みたいから。
となると、やることは窓外を見るか携帯を見るかただ耐えるか
「時間泥棒」は苦痛な時間を過ごさせるために、ありと
あらゆる手を使ってくる。そして貯金した時間を
絶対に返してくれない。<2時間55分>
サラリーマンは働くより電車で疲弊
満員の脂ぎった人たちとの混浴
肯定的にとらえる術はない?
楽しく過ごせないか?
3時間といえば
なんと映画
見れるよ
一本
(Y)
2007年08月02日 17:09| トラックバック (0)| コメント(0)
2ストライク3ボール。
バッターボックスで
次のボールを待つとき、
あなたならどうするか?
もし、
「ボールには、手をださないようにしよう」
とおもっていると、
結果はあまりよくないようだ。
で、
何がいいかといえば、
「ストライクは絶対見逃さないようにしよう」
と思うことなのだ。
同じように
「ミスをなくそう!」
というのも
あまりよろしくないようだ。
これこそ、
ミスのもとではないだろうか?
どうやら
ミスをなくそう!
と思っているかぎり、
ミスはなくならない
(らしい)
で、
私は、最近
「いい仕事をしよう!」
そんな風に
思うことにした。
だって、
いい仕事は
(もちろんミスはない! ときにはミスも帳消しにする?)、
お客様も喜んでくれる。
自分も気持ちいい。
勝利とか満足とか、
成功とか
に、つながっている。
はずだから。
「ミスをなくそう」
「時間がない」
「忙し過ぎる」
「いいわけしない」
なんて、もういわない
みんな、
ミスをなくそう!
いや違った
いい仕事をしよう!!!
by MOK
2007年08月02日 09:36| トラックバック (0)| コメント(0)
朝だけ「女性専用車両」とゆうのがあって
それにはもちろん男の僕は乗れないので、中の様子はわからないが
まいにち事実上「男性専用車両」に乗っている僕は、
もうちょっと“細分化”した車両をつくるべきだと思うよ。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
・いい人専用車両
・カリカリしてる人専用車両
・太った人専用車両
・おばちゃん専用車両
・美人専用車両
・加齢臭者専用車両
・新聞を読む人専用車両
・二子玉川駅で降りる人専用車両
・スピリチュアルな人専用車両
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
とか。
定期券を購入時に、選別されるの。そして定期券には「あなたは、この車両にのる権利がある」と記してあって、もちろんフリーの車両もあるからどっちに乗っても良いんだけど、ただ決して「選別されていない」車両には乗れない。
これ、極端に思えるかもしれないけど、今政治がやってるのは、これと同じ事だよね。「日本電車」の中でフリーの車両を思いっきり汚くして、グリーン者に乗れる自分とその支持者だけ優遇してる。でもどうせやるなら、「性格別車両」とか「ファッション別車両」「愛のある人ない人別車両」にしてよ。(Y)
2007年08月02日 08:56| トラックバック (0)| コメント(0)
今日は久しぶりに顔が消耗した。
顔の筋力が。
世の中に「顔は笑ってるけど、目が笑ってない」人がいるが、
まさに僕、きょう1時間ぐらい、そんな状態だった。
ほんと、久しぶりに。
精神と肉体って離ればなれになれない。
この場合の「精神」って“理性”ということだが。
頭でこうしようと思って、そうはいかなくて、無理矢理に「そうしてる」と、頭が混乱するし、肉体も疲弊する。
また、そこに「意志」が介在してるかっていうと、意志なんてなく、「目が笑っていない」という“流れ”に心も身体も支配されてる、そんな感じ。よこしまな気持ちなんて、ぜんぜんないんですよ、というか「誠実」なんですよ、、、なのに心も身体も言うことをきかない。
理性はやっかいです。「本能」がいいです。ミシュラン君には理性がない。マシュマロみたいな肉体性だけだもん! あーうらやましい!、、、、と思ったらミシュラン君、目、ぜんぜん笑ってないじゃん(笑)(Y)
2007年08月01日 16:14| トラックバック (0)| コメント(1)