| Sun | Mon | Tue | Wed | Thu | Fri | Sat |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | ||||
| 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
| 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
| 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
けさ、朝起きてからモタモタしてたので
いつもの時間に駅に着かず、、、
、、
なんと、出発寸前の電車に乗ったら「女性専用車両」。
違和感の嵐。
ほとんどの女性客は虫(無視)だけど、
すごい目で睨んでいるリアディゾン風の{OL}さんが、、、
やば!
もう死ぬ思いで、走って、車両を変えましたが
「あんな恐ろしい思い」は
久しぶりです。
※ちなみに、ぼくは「虫」が大好きです、無視は辛いけど。
とくに好きな虫は手塚治虫です!
話は変わりますが
おとといブックオフで
「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」
100円だったので
買って
読みました。
だめ本、と決めてかかってたパラダイムがガタガタ崩れました。
面白い!
こりゃ、売れるわ。
ぼくら普通に仕事をしていても
経営とか会計とか、
じつは知らないのに、知ったかぶり、してるじゃないですか。
そこんとこ、突いてる!
やさしく教えてくれる。
恥ずかしい思いもせずに。
うん、やはり意外なところにマーケットはあるんですね。
ホスピタリティー、
たぶん、これからのキーワードは「おもてなし」だわ。
あとね、
アマゾンでシェラザードのCD
買ったけど
つまんなかった。
こりゃ、映画音楽だね。
風邪気味なので、つらいですが、頑張ります。
(じつは昨日、寝てました)
さくら、、、、、花冷え、、、
風邪ひいて
布団のなかで ほぞをかむ
四十四年の 仮面鬱病
(大好きな石川啄木にならって、歌をはじめます、、、、へたですねぇ 笑)Y
2008年03月31日 10:01| トラックバック (0)| コメント(0)
出世主義者で
人の手柄もじぶんのものにしちゃうような
人
だったんだって。
けど、偉人。
悪いことは、ほとんど囁かれない。
あと
私の通うお医者さんが言ってたのですが
野口英世も
かなり
やばい人だったらしいです。
借金踏み倒しの件は有名ですが
それ以外に
ここに書けないこと、いっぱい。
モーツアルトは
映画「アマデウス」で描かれてたけど
やっぱ不幸だったようです。
幸せな
少年時代もあるけど
結果的には
悲惨。
先の医師によると
世の中の体制に、ルールに、ゆるいゆるい暗黙の了解に
バキッ!と
反抗しちゃう、芸術家とか“偉人”というのは
精神構造的に
「せざるを得ない」ものを
呪いを
持っているそうです。
天才に憧れる、一般人、
は
悲しくはないです、か?
ま、なろうと思って「天才」なれないですけど
つらいのは確かなようです。(あっ、写真はチャップリンですよ 笑)
Y
2008年03月28日 12:56| トラックバック (0)| コメント(0)
いま友達の企画会社で
これを書いている。
あるエリアマーケティングについての企画を
客観的に
どう思うか、意見を聞きに来たのだ。
まぁまぁ、の反応。というか良好。
ただ
しかし、「反響」というのは
いつも“賭け”である!
ぜったいに行ける、と思っていても、三振アウト、なんてことはしょっちゅうである。
とのこと。
同じ思いである。
しかしテストしないと、はじまらない。
成功の反対は失敗ではなく、なにもしないことなのだ。
あと企画者の「直感」、、、、これが、じつは、キモ!
直感的にダメなものは、
やはりやらないほうがいい。
直感の精度・純度を高めるためには、
やはり「勉強」が必要。
べつに
常に新しい情報をキャッチ、ということではなく
アンテナを磨いておくために
やはり
「青山テルマ」を聴いたり
いやだけど「爆笑問題」をチェックしておいたり
少なくとも新聞の社説は読んでおいたり
また
ネットや紙媒体で見るだけでなく
「その場に行ってみる」ことが肝要!
あと、このブログを褒めてもらった。
毎日
楽しみにしてくれている、とも。
なんと嬉しいことを!
タダで読める、ということについても話し合った。
「タダ=ロハ」というのは
危険である、
ことも。
実際、
ぼくも身銭を切らないで
図書館で
クラシックCDを聴いていたころは
じつは
理解してなかった。
物理的には
同じ音源である。
(PCに取り込むので多少、圧縮されるが、それはココでは問題にならない)
五千円だして
バーンスタインのマーラー交響曲9番を
買った
のと
千代田図書館で借りたのでは
どういうわけか
「違うものを聴いている」くらい
脳なのか
身体なのか
記憶なのか
満足感なのか
見栄なのか、、、、、、、、わかんないけど
「作用」として
音が違ってくる。
本についても、そうだ。
「所有している」本は、身体の一部になっている。
莫迦パラダイム?
そうかもしれない。
けど
実際に
じぶんで稼いだお金を出して
聴きに行ったデヴィッド・シルヴィアンのコンサートと
プレゼントで当たったコンサートの
心に当たる感触は
別物なのである。
スーパーで試食する
漬け物が
美味しいときがある。
しかし
“騙されて”買ってきて
家で食うと
そうでもないことがある。
それと、これは、話が、違うでしょ、と言わないで。
「だめ」という評価を
するのも
お金を出して買ったから、できるのである。
真剣度の
問題なのかもしれない。
気軽にアマゾンで試聴して
「買った気になって」いるほうが幸せなときも多い。
また
画集で見て、感動、までしていた絵が
ルーブル美術館で
見たら
そうでもなかった
ミロのビーナス、みたいな話もある。
テレビの映像なんか
まじ
「作り物」だからね。
本物より
よく「撮る」なんてカンタンらしいから。
でも兎に角、
身銭を切ってください。
そうしないと「身に付かない」です。
Kさんへ、、、私は
ジャズピアノなら、セロニアスモンクの「ソロモンク」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AF%2B9-%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AF/dp/B0000W3RSA/ref=pd_bbs_sr_1?ie=UTF8&s=music&qid=1206610182&sr=8-1
お薦めします。Y
2008年03月27日 18:12| トラックバック (0)| コメント(0)
三島由紀夫の残した最大の功績は
「顔」だと思う。
存在感といってもいい。
たとえば川端康成は、マニアにとっては素敵な顔だけど
三島の顔は世界に通じる!
ひるがえって
大江健三郎はどうか?
いい顔ではある。
が
ポップではない。
ビジュアルが先走りすることはないだろう。
ピカソも顔が良い。
マルセルデュシャンも
アンディウォーホルも
ケネディも
ガンジーも
チャーチルも
チェゲバラも
「顔」である。
思想については
正確に流布することは少ない。
イメージだけ
あるいは
「キャッチー」な部分だけが
勝手に読み替えられたかたちで世界に広まる。
だから
生半可な気持ちで思想を語ってはいけない。
ウィキペディアで
一夜漬けの専門家になることは簡単だからだ。
しかし
「顔」は嘘がつけない。
たしかに
残っている「顔写真」だけが
その人間である、とは断定できないが
顔は顔だ。
そして顔こそが思想だ。
Y
2008年03月27日 09:32| トラックバック (0)| コメント(0)
たしかNHK総合で、
11時半ぐらいからの番組。
「爆笑問題のニッポンの教養」
ぼくはもう京大相手のテーマが「独創力」ってだけで
脱力しました。
東大の次に来る
日本の最先端の「知」が集う京都大学で
“独創力”?
もう、あまりにも稚拙な問題提起で
京大生、教授は
無視するかと思ったら
真っ向から対峙しておられた。
ななな、なんというテイタラク。
独創力って
つまりは
みんなとちがう「個性」ってことなんだけど
それは
もう「構造主義」で
解き明かされています。
というか
構造主義なんかなくても
「個性」なんてことを議論すること自体
インテリジェンスの頂点たちが
やるって、
もう
日本の未来はヤバイと思いました。
もっとも
自治体とか
ボランティアの人たちとか
NPOとか
博愛主義者たちが
おおらかにいう「個性的な生き方」を
否定する気持ちは
まったくないです。
ただ
コムデギャルソン
川久保令が「無個性より悪趣味でも個性があった方が良い」
の
中の
「個性」「独創性」
と
爆笑問題の
「独創性」は
水と油です。
個性なんか無いのよ、ほんとうは。
欲望はあるけど。
欲望の他人とちょい違った現出方法を「個性」と呼んではいけない。
わかりますか? Y
2008年03月26日 13:10| トラックバック (0)| コメント(0)

ところで今日
ぼくは
3回
泣きました、朝日新聞で。
1回目は
小島祐治(27歳)さんという
4歳のとき事故で
両腕を無くして
いま中学教諭となった
「ひと」の記事。
『成功の反対は失敗ではありません。何もしないということです』
2回目、
ドラマのブロデューサーの記事。
「読者から」で
高校一年のとき出会った彼、
物静かな彼、
手紙で告白し、
いっしょに予備校に通った。
一度だけ、部屋に誘われた。
けれど
「合格してから」と断った。
受験後、
彼だけ合格し
「私」は就職した。
大学生になった彼から
一度だけ「連休に万博に行こう」
と手紙で
誘われたが「私」は
「彼にふさわしくない」と自分を卑下し
返事を出さなかった。
時が流れ
「私」は職場結婚をし
3人の子持ちに。
彼を思い続け、
40代半ばを過ぎ、
社会人入学で大学生になった。
高校卒業30周年の
同窓会で
「合格の約束果たしたよ」
と言おうとしたが、
彼は現れなかった。物故者欄に名前が、、、
10ヵ月前に病気で亡くなっていた。
、、いま、私は、家族に感謝しながら
「彼とともに生きていこう」と決めている。
もうひとつは、、
いや、この2つにしよう。
とにかく泣いた。
泣いたよ。
yamazaki
2008年03月25日 21:49| トラックバック (0)| コメント(0)
終わりのセリフ、、
「それでも生きるのは素晴らしい!」
クリシェ(紋切り型)だけど
あれ以外の終わり方がない。
びとういさお、魅力的でしたね。
のじましんじ、いろいろ素敵だけど
真逆の感情
騙している←→愛している
みたいな
二律背反する感情を見事に描いていた。
直線的に
「愛している」だけを貫ける人って
いることはいるけど
かなり思いこみの激しい人で
ふつうの人は
つねにユラいでいる。
その「揺らぎ」が生きること、そのもの。
ドラマみたいに
7回でハッピーエンドみたいに
人生は
いかないが、
一日一日の終わりを「ハッピーエンド」に近づけたいな。
Y
2008年03月25日 09:27| トラックバック (0)| コメント(0)
絶対的な「価値」は、あるのか?
じつはボーズのスピーカー(PC接続用)M3
を
購入してから
考える
ようになった。
M3の評判は、すこぶる高い。
ネットでは「史上最高の小型スピーカー」と謳われ
PC系の商品評価では
もっとも信頼していたスタパ斉藤氏も絶賛していたので
購入したが、、、
いまいち、であった。
もちろん
パソコンハードメーカーが作る
ちょい高価なスピーカーよりは、いい!
それは
わかるんだけど
「感動」がない。
スタパ斉藤は、感動して、耳を疑い、2つ目購入もしたい、
と
まで
言っている。
なのに、わたしの耳には、届かない。
これはハードの問題だけでなく
クラシック音楽のマニアの間で
マラ9DVDなら間違いなく、ロリンマゼールの1996年だ!
と
誰もが
もう版を押したように言うので
中古で高かったのに
買った、、、、、、、、、、が、しかし、
ぜんぜん、よくない。
だいたい音圧が低い。
マーラーの楽曲に裏切られたことはないが
演奏に裏切られたのは
百回は
あると思う。
さらにこれは
文学作品でも
映画でも
よくあることだ。
間違いなし!
のお墨付きを得た作品が
大衆的な作品が、ぜったいに「最悪の映画」であることは
逆説的にではあるが
もう証明されたかのようだ、、
が、、、
コアな映画マニアが
薦める
映画の曖昧さは
「これって、この良さ、わかんないって、あんたが莫迦だからだよ」
と
言わんばかりのものも多い。
また
ドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟は
たしかに
名作、なのだろうが
あんなもん
時間のある学生じゃないと、長くて読めないよ、
サラリーマンは時間ないです!
閑話休題。
食についても、同じだよね。
ミシュランより
吉野屋のほうが旨い、なんてことは
大いにある。(はず、、☆レストランに行ったことないから言えないけど)
朝日新聞の記者が
三つ星レストランで七万のランチ食べて
美味しかったけれど
なにも七万払うほどのコトじゃないよ、と記事に書いていた。
社食のランチより
十倍美味しいけど
七万払って、こんなとこ、ちょくちょく来れるのは
よほどの金持ちじゃないとムリ、、、
と
年収一千万を超える
朝日新聞の記者が言う。
俺なんか、☆レストラン行けるわけないし
行きたくないです。
庶民であるわたしたちは
適正価格で
でも、なかでも「良いもの」が欲しいじゃん。
でも
某有名な国際的なメーカーのSの商品なんか
ぜったいに
一年の保証期間過ぎると
ぶっ壊れます。
ぼくはパナソニックは支持しますけど、
また
ボーズは
そんなにわるくないと思うけど
また
飲料なら
UCCを支持するし
ユニクロはデザインはダメだけど丈夫、
無印良品は
いまはダメだけど
5年前までは、ほんとうに良いものを安く提供していた。
また
藤田嗣治の絵に裏切られることはないけど
坂本龍一は
良いときと悪いときの落差が激しい。
コムデギャルソンについては
別格で
(高くてぜったいに買えないけど)
いついかなるコレクションも最高!
いわゆる
オタクとか
マニア
と
呼ばれている人も
じつは「信用ならない」。
やはり自分の
目で耳で
確かめないと。
あと
前評判は嘘と思え。
それから
なんの事前情報もないのに
ぼくは
今回のブログの上に置いたジョンハウの絵を
横浜の有隣堂で見つけて
生涯の宝物にしている。
マンレイを好きになったときだって
まるで
事前情報がなかった。
そういうときこそ、
いや
そういうとき感情が動くもの
それだけが
「価値」なんだと思うよ。
身体が欲しているわけだから。
情報は結構、邪魔者です。
好きではないけれど
林真理子が
「パソコン、インターネットなんて、私には必要ありません」
と
宣言していた。拍手します!
xeb@i
最後に
プラセボ=偽薬、について。
ぼくらはほとんど
事前情報とか
みんなと同じとか
売れているだとかの
「じぶんで判断していないけれど信頼するに足る情報」
で
生きています。
高いものは、良いものだ。
ミシュラン食堂は素晴らしい。
モーツアルトは癒しにイイ。。。。。。すべてプラセボです。Y
2008年03月24日 20:18| トラックバック (0)| コメント(1)
おはようございます。
今日は曇り空で、ちょっと寒い。
けれどまぁ、「春」ですね!
服も春色の、緑のコートを着てきました。
元気でますよ。
ところで
2~3日前、ポリティカル・コレクトネス
言葉狩りに対して
書いたところ
「じぶんのことだと勘違いした」方がおられました。
あれは、ほんと他意はなくて
筒井康隆のいう「言葉狩り」と同じで
小説を発表する上でもネットに文章を書く上でもテレビの報道でも
同じで
「いわゆる、いっぱんてきな」
「最近、特に“弾圧”的にまでなっている」
現状を
憂えて書いたわけで
とくに誰かを指して書いたわけではありません。
ま、時期が時期だったわけで
勘違いされたわけでしょうが、こちらも配慮が足りませんでした。
申し訳ございません。
言語によるコミュニケーションは
ゲーテによると
20%しか伝わっていないとのこと。
80%は、曖昧なまま、なんとなく雰囲気で
伝わってる感じ、、、
わかっている感じ。。。
で
執り行われていて
(これ、日本だけの話じゃなく、自己主張の強い欧米でも)
とくに
メールとかテキストだけだと
顔も声も聞こえないし、
誤解される確率が高いですね。
とはいえ
黙ったまま、いいたいことも言えずに
ただ言われたとおりに
あるいは
周囲が、そんな雰囲気だから、それにじぶんも合わせて。
ばかりだと
生きるのがつまらないです。
ちゃんと、わかるように主張する、最善の努力をする必要があります。
ディスコミュニケーション
という
ことばがありますが
まずは
それを前提として
それほど「伝わりにくいから」
「ちゃんと伝わるように語ります!」というスタンス、
それが大切です。
ま、今日はそんなとこで。みなさん、今日も一日、笑顔で!
Y
2008年03月21日 09:11| トラックバック (0)| コメント(0)
「ポリティカル・コレクトネス」
を
ご存じですか?
KYじゃなく、PCっていうんですよ。
最近では揶揄する「語」みたいにもとらえられていて
健康的な方向に向かいつつありますが
やはり単語一つとって
例の「学校の名称」だって、当事者の気持ちを無視した「法律」として
決めつけるなんて、愚の骨頂。
コトバ=単語の前後にある文脈で
悪意があるのかないのか、それを判断しないといけないのに
お役所的に
あるいはヒステリックな保護団体的に
なんでも
世の中から消してしまえばいい
テレビでは、この言葉は絶対使ってはならない
と
ひとつひとつ言葉狩りしていく側の人間達よ、
よ~く考えなさい。
(といっても、考えるわけ無いですけど。彼ら)
もちろん
私たちはお客様の代弁者として
ほんとうに世間に役立つ商品やサービスの宣伝をしますから
言葉の吟味は慎重に慎重に、やりすぎぐらい気を遣います。
ただ
シチュエーションとか
時期とか
ターゲットなどにより
語り分けないと、、、、、、、、、、、それが
訴求ポイントとなるわけですし
画一的な
ルールというのは
ないわけです。
やはり、「結果」ですよ。
そして、さいしょに「目的」を明解にすること。
人を安易に傷つけたり中傷することはいけませんが
根底にある
「あなたに歓んで欲しい」があれば
自由自在に言葉を操った方が良いわけです。
わぁーーーーーーーーーーー、なんか抽象的なことばかり書いて、ごめんなさい。
でもいいたいのは
ほんと簡単にいうと
PCはKYなんかと比べものにならないくらい世の中をダメにしている可能性がある、ということです。Y
2008年03月19日 09:15| トラックバック (0)| コメント(0)
去年の夏に、はじめて
なんと
この記事が「238」回目!
わたし以外の人も書いているので、
わたしが書いたのは
たぶん
210ぐらいだと思うのだけど、
けっこう
偉い!
だれも褒めてくれないので
じぶんを褒める
けど
ほとんど出社した日は
かならず
写真入り、絵入りで
書いている
その
続けているのは、ちょっと偉い。
地域社会でなにかをはじめるとか
会社でコレをスタートする
とか
学校で「毎日続けましょう」
と
言われても
ほぼ
三日でみんなやめてしまう。
そして、それについて、だれもモンクを言わない。
(上記モンクはセロニアスモンクへのオマージュ)
継続は「ちから」なのではないでしょうか?
ま、
じぶんだけで完結(自己満足)してても、しゃあないけど
こうやって
「おもむろに書く」
「アドリブで書く」
「しかし会社のブログなので、自制心が働く」
「で、いるかわからないけど『読んでくれている人』を鼓舞するものを書く」
という枷を
200回以上はめつづけた。
気づいたこと・得たこともある。
それは、、、
・テニオハなんてどうでもいいんだぜ、つたえたい(あるいは書きたい・さえずりたい)ことを記すことが大事なのさ
・文章を書くという「高い敷居」が、グ~ンと低くなった
・毎日書くのは、苦痛ではないこと(たぶん「毎日続けられない」と思っていることのほとんどが、じつは、たぶん毎日やれるんだってこと)
・書くことは、思ったことを書くのではなく、「考える」行為なのだということ
・じぶんの撮った写真が、いがいに面白いこと
・「書くこと」は直線的な行為で、「思考する」ことはポリフォニックで忠実に言語化すると、まるで莫迦が書いたような文になること
・日記は続けられなくても、もしかしたらゼロかもしれないけれど、だれかが読んでくれるかもしれない場に「日記」を書くのは歓びであること
そういうふうなことです。
ちなみに
このブログへの訪問者は多い日で200人
少なくても100人。
もし読んでくれている方がいたら、大声で感謝します。
ありがとうございます!!!
2008年03月18日 20:17| トラックバック (0)| コメント(0)
下の記事で
緑の光線のこと
書こうと思ったけど
仕事で中断し、、、、、、、、、、なにを書くか忘れてしまった、
やはり
そのときに書いておかないと
日常は、どんどんエピソード=出来事が積み重なるので
記憶しておくことが不能です。
しかし、ですね、
人間の感情というのは
「意識」を持った時点で
「自意識」を自覚したとき、
“自然”ではなくなった、
つまり花や蝶や牛やカエルとは
別の
不自然な意識体、構造体になっちゃった。
「緑の光線」というのは
「海底2万哩」で有名な作家ジュール・ベルヌの作品に
「緑の光線」というのがあり、
その小説によれば、日没直後に太陽の光が緑色になる一瞬があり、
幸運にもこの緑色を見た人は、人の心の中が分かるという言い伝えがある、そういう自然現象をタイトルにした映画。
本編では、結末に
主人公の情緒不安定(自意識が不可避な病気)な女性が
緑の光線を見た
というような終わり方になっていますが
ぼくには見えなかった。
ひとつの映画や音楽や小説を
簡単なキャッチフレーズで説明してしまうのが
いわばボクの仕事だったりしますが、
そんなん無理ですね!
w@Er@i¥
ディズニー映画やお馬鹿ハリウッドならできますが。
ウリがハッキリしない商品は売れない。
じぶんのメリットを明確に主張出来ない人は評価されない。
お金にならないモノは、そもそも必要とされない。
というのは
ビジネスマンのスタンスとして保持するけど
まるで「わけわからないどうしようもない感情」
とか
「死への欲動」とか「人と人とのコミュニケーションに必ず生じるけど、ないこととしてしまう、感情のもつれや裂け目」、
そういったコトを、ちゃんと忘れないようにしようと思いました。
(どんどんエピソード=出来事が積み重なるので忘れちゃうんだけど)
その目的は物事を曖昧にしないで『きもちよく生きる』ためにです!
Y
2008年03月18日 13:41| トラックバック (0)| コメント(0)
エリックロメール「緑の光線」
を
見た。
ロメールは
女性の感情がわかっていて、女性の琴線に触れる、、
、、と忙しくて、ここで中断。あとはまた、、、Y
2008年03月18日 09:29| トラックバック (0)| コメント(0)
2008秋冬パリコレのコムデギャルソンのテーマは
「悪趣味」。
『無個性よりも、悪趣味だって個性のある方が良い』川久保令
どっかで聴いたことのあるような
フレーズだが
それが川久保さんから出ると
“重み”が増す。
ちなみにルイヴィトンのテーマは「シェイプ、そしてグラフィカル」(マークジェイコブス)
あまり意味がよく分からないけど
身体の線に応じて絞ったデザインで
グラフィカル=視覚的である、ということなのか、、、
しかし
コンカイノパリコレはすばらしかった。
どこが?
それは、「傾向がない」ということ。
モードでさえも
マスコミは時代を反映させた言葉に変換して
「傾向」として一緒くたに時代に結びつけるけど
今回の
パリコレは
デザイナーひとりひとりの個性のオンバレード!
世界経済?
グローバリズム?
格差社会?
そんなんどうでもいいじゃん、、、てとこが明白に見て取れた。
ほんとさ
五十年前は「構造主義」は哲学用語だったのに
いまは
みんな
社会の構造から語られてしまう、
そうしないと、いけない風潮がある。
だから
新しいモノができても
あっ、ポストモダンね!
と
片づけられてしまう。
つまんない世の中です。
しかし
パリコレみたいな
パリコレ、プレタポルテみたいなのが
社会のヒエラルキーの頂点にある限り
世界から「希望」は消えないと思った。
ところで
ココシャネルは
「ファッションは芸術ではない、商売(メチエ)である」
と言ったそうな。
意外ですね。
しかも
早リスタリが、早ければ早いほど良い、儲かるから。
とも
言った。
なんとまぁ!
かっこいいですね!
0qdg)4ftp@w@r
わたしきょうは風邪です、ちょっと辛いです。
けど早引きしないように頑張ります。
ではさようなら、みなさん、きょうも、一日、お元気で!!!
Y
2008年03月17日 10:06| トラックバック (0)| コメント(0)
...最速でダウンロード100万件!
という朝日の記事を見て、ユーチューブで見てみた。
最近の若者の聴く音楽だ。
ラップも入ってる。
なんか、ほんわかしたモヤみたいなのに楽曲が包まれていて、
いわゆる「癒し」系、
アナログな音ではない。
電子で
アナログな気持ちを代弁した音楽。
歌詞が、
「ずっと<ここ>にいてアナタを待っているから、安心して。どこにもいかないよ、ただ淋しいのは、淋しい。けれど、永遠にアナタが好き。それは変わらない、愛している...」
という内容。
渋谷の街を歩いている化粧の濃い、あまり美人じゃないけれど、痩身、
そんな感じの容姿。
青山テルマという名前の意図が分からないが、
若い人たちは、こういうの、を求めているのか、、、、、、
たぶん「永遠に自分を信じて待っている人がいる」という部分「そこまでの純愛」
に
みんな惹かれてる。
ぼくは、青山テルマが
今年秋冬のパリコレのシャネルの「貧乏ルック」で
歌えばいいと思った。
20歳ぐらいって
もうすでに
負け組、勝ち組、判明している年齢だと思う。
(その勝ち負けの概念自体おかしい、というギロンは今回なしで)
思いっきり、
見かけも
負け組の歌にしてくれれば
ぼくは良かったと思う。
ところで、はなしは諄いくらい繰り返すマーラーに...つながる。
マーラーは1911年、51歳で死にましたが
20代の頃から指揮者として名声を得てた。
つまり「勝ち組」だった。
「マーラーの不思議は、ユダヤ人であることの疎外はあったかも知れないものの、彼が生涯を通して、ほぼ一貫して勝者であったにも関わらず、敗者のための音楽を書いたように思われるという、逆説的な状況にある。」※原典は不明、とにかく誰かの引用です。
敗者のための音楽。
廃車のための音楽。
拝謝のための音楽。
ロックスターが
貧乏で見向きもされない自分を、みじめな自分を題材にして
反社会的な歌を歌って
なんと
尾崎豊みたいに、売れて、
そして
経済的に満たされて、曲ができなくなる。
なんてのは
よくある話ですね。
アイデンティティーが変わるんだから。
マーラーは最初から「見向き」されてたのに
一生涯<<<敗者>>>の側の
私的な音楽(心情吐露)を
大がかりなシンフォニー、大管弦楽を用いて奏で続けた。
たとえば私の大っきらいな
ヨハンシュトラウスは、そういえば「勝者の音楽」しかつくらなかった。
私の知人のK氏は
「(たぶん音楽の)大ヒットのキーワードは『ストリートの匂い』だよ」と言った。
ストリート=「敗者」の感じ
なんじゃない?
Y
2008年03月14日 21:44| トラックバック (0)| コメント(0)
さくやフォーレのレクイエムを
聴いて涙した私は
とても疲れていたのでしょう。
もともと強迫性障害っぽいところがあるから
人とのトラブルというのは
とても堪えるわけです。
が、そこで、病に逃げ込むなんてコト
しませんよ。
もちろん、ほんとうに精神を病んでいる人を
「弱い」だなんて言う人を私は軽蔑します。
すごく
つらいんだと思います。
けれど
スペースシャトルの「きぼう」は成果がでないらしいけど
「希望」があれば
癌の人も、余命三ヶ月の癌患者も十年、二十年
生きたという話はいっぱいあります。
ウイルス感染に関しても
「生きようとするモノ」と
「もう死んでもいいや」の人とでは
浸食度が違うらしいですし、
このことばはビジネスっぽくて嫌いなんだけど
「モチベーション」が高ければ、
かなりのことは乗り越えられます。
バッハの「無伴奏バイオリンソナタ」に変えたところ(昨夜)、
シゲティ(演奏者)のあまりに熱い
弓裁きに
逆に目がさえて眠れなかったボクは
今日は眠いですが
まずは午前中のテレマからガンガン飛ばしていきます! Y
2008年03月14日 09:11| トラックバック (0)| コメント(0)
「お客様は神様です」
を
三波春夫のキャッチフレーズと
勘違いして
る
方がいましたが、
ちょっと古いですよ、ぼくはそんな世代ではないです。
三波春夫の神様は
いわば
アニミズム(八百万の神)。
私の言う神様は汎神論!
唯一絶対神、、、、キリストの言う神でもなくて、「波動」のような存在、いや状態です。
つまり、
人と会うこと、仕事すること、タリーズでカフェラテ注文する瞬間、横浜FCの試合観戦の最中、、、
いつも、いつも、
神がいる。
特に都市では「人と会うこと、交わること」が避けられませんから
すべての
人と関わることが「波動」を生みます。
わかってもらえないかもしれないけれど、、、、
やはり、
私たちは「じぶんだけ」トクしても
幸せな気持ちにはなれない。
誰かと、
恋人と
会社の同僚と上司と
家族と
初めて逢うお客様と、、、
一生のうち、言葉を交わせる人なんて
そう多くはないはず。
さらに
仕事するとか恋するとか、
深い部分にまで侵入するコミュニケーションは
かなり少ない。
だから
可能な限り、
実際に肌で触れあう人には、
ハッピーを振りまきたくないですか?
嫌な気持ちに
なってほしいですか?
お客様は神様です。
お父様は神様です。
お友達は神様です。
下請けさんだって神様です。
そこんとこ、勘違いしないでください。Y
2008年03月13日 18:35| トラックバック (0)| コメント(0)
どんな場合でも、
じぶんにまったく落ち度がない、なんてことは
言えないけれど。
あまりに理不尽な対応をされてしまうと
ニンゲンはキレてしまいます。
たぶん
われわれの仕事は、あくまで「お客様ありき」です。
できないことを、できない
という前に
できないか検証してみよう、
という
態度がないと
そんな人とは仕事をしたくないです。
もちろん
すべての要望を鵜呑みにして
なんでも受けてくる、というのも問題はアリです。
しかし
スタンスとして「歓んで欲しい」「満足して頂きたい」「結果が出るようにしたい」
という
“思い”が、壁を越えることだって
多いわけです。
これ、
具体的に書いていないから
読んでいる人は意味が分からないかもしれないけど
「お客様は神様です」。
思い当たる人、反省しなさい! Y
2008年03月13日 10:13| トラックバック (0)| コメント(0)
寒いので足下にヒーターを置いている。
そう
私の席の背中は大きな窓で
こんな最新のビルなのに、なんか背中がスースーする。
だから
足下にヒーターでも置かないと
寒くて凍えてしまう。
しかしこれが、
また困ったことに、勝手に何時間で切れる
という
仕組みになっていないので
いちいち電源をオフしないといけない。
わたしは消し忘れが怖いので
指さし確認をやっているが。
たぶん多くの人生は寒い。
冬の60年である。(ぼくらの人生って、やっぱ60年ぐらいでしょう、そんな長生きできないと思う、、、だれかが「一時間ドラマ=60分ドラマ」を人生に置き換えると、わかりやすいといってた)
その証拠として
漱石でも鴎外でも三島由紀夫でもJ-POPの歌詞でも、
みんな寒くてふるえている。
音楽がヒーターになるのか、
みんな最新の曲には敏感なようだ。若い子たちは。
そして
年寄りは
じぶんが若かりし頃の懐メロで
寒い人生を、あ・た・た・め・る。
カラオケで歌うのは
なお
「発散」できるのだろう。
いまでも大人気。
ヒートアップするからね、飲んで歌えば。
そういえば「冬のソナタ」も熱かった。
舞台は韓国の冬だけど。
ユジンがこんなことを言っていた記憶がある。
「もうすこしだけそばに近づいて。春はこないけど」
ユジンのヒーターじゃなかったんだね、ペは。
消し忘れは怖いけど、愛は消えないよ...Y
2008年03月12日 13:02| トラックバック (0)| コメント(0)
美術に関しては
絵画に関しては一点ものの「実物」があるので
それを実際に見る、
ことで
芸術性(?)を最も感受できます。
また小説や詩も
本の装丁などで
若干イメージはかわりますが
基本、
テキストを読むことで
その作品の本質を味わうことができます。
しかし
音楽は、、、
音楽は譜面になった楽曲を
指揮者がどう解釈して、それをオーケストラが
どう応えるかで
まるでちがう「芸術性」が生まれてしまいます。
こんなこと
クラシックを聴くまで予想もつかなかったことですが
(というのはpopsはオリジナルが一番で唯一)
「解釈」の違いで
同じメロディーが
同じオーケストレーションが
一変します。
マーラーの話ばかりで申し訳ありませんが
クラシックの作曲は
けっきょくのところ「マーラー」が頂点です。
いくらモーツアルトが
「癒し」に良いといっても
芸術的な価値、
また
実際に「生きていく糧となる音楽」として
マーラー以上の作曲家はいません。
もし
興味のある方は、私に尋ねてください。
驚くような「音楽体験」させてあげます。Y
2008年03月11日 09:23| トラックバック (0)| コメント(0)
先週土曜のテレビ東京22時~「美の巨人たち」みた?
目からウロコよ、、、
ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」が
テーマだったんだけど、
そのなかで16世紀の『高級娼婦』の話題が出た。
娼婦というと、一般にはお金で性を売ってる
下賤な女
って、イメージですよね?
しかし
16世紀の高級娼婦は王侯貴族のみを相手にし
なんと
お金で買われるのではなく
王様や貴族を、
その「美しさ」で支配していたのだそうだ。
すごくない?
ティツィアーノも、じつはそうで
画家と言うのもパトロンがいて、パトロンに支配されていたわけだけど
ティツィアーノ・べッチェッリオ
に
関しては
絵画の王様として君臨し
王侯貴族のいうことなんか、きかなかった!
と
いうか
そのスキルで王侯貴族を「支配」していた。
金のあるもの
地位のあるもの
支配者階級
に
「支配」されるだけが「庶民」じゃない、、
いいじゃない!
その「美しさ」とか「スキル」とかで
反対に「支配する」!!!
すばらしい。
ちなみにITで世界を支配していた
独占的なOSシェアで
世界ビジネスを独占していたマイクロソフトが
グーグルとかリナックスとかの「開かれた」戦略に
とりこまれつつある。
というか
20世紀の古い独占指向の経営に
陰りが見え始めたということ。
特定の「強い」「でかい」企業が、国家が、
独占的に知識や人材を確保する旧来のやり方が
崩れてきている。
ま、ほんとうにそうかどうかは
まだ
様子をみる必要があるけれど。
よりNPO的に世界が
誘導されているような格好だ。
でも
だからこそ
「個人」のスキル、美しさ、才能、情熱
に
光が当たる!
というか
そういうもののない者達は
逆に
歯車にしかなれないのかな?
ま、NPOは弱者の味方、ということになってるけど
やはり
経済的な強さ、で
グルーグルも、のしているわけであるし
貧乏人に、貧困層に、
どんな「希望の与え方」をしてくれるか、
論点はそこだと思います。Y
2008年03月10日 10:02| トラックバック (0)| コメント(0)
たまにはテストも必要です。
点数が悪いと落ち込みますか?
でも、ぜんぜん気にすること、ないんですよ、ほんと。
ところでオバマは大統領になれるのでしょうか?
すごい「テスト」ですよね、これ。
合格すねかしないか
で
白と黒が変わっちゃうぐらいのテスト。
受験生の皆さんも
就活の皆さんも大変でしょうが
やっぱり
いいたいのは
負けても、万一、不合格でも、
それで「人生きまったわけじゃないよ」ということ。
そりゃ
歳をとるとリターンマッチ
組んでくれるプロモーターが少なくなるけど
やっぱ
どっかにはいます、ほんとです。
60歳からでもリベンジできます、30やそこらで、あきらめたら
だめですよ!
要は胸張って歩く、こと。
しぼまないこと。
愚痴はどんどん口にして言い。
ため息もいい。
しかし、、、コソコソしてはいけない。
それだけです!
Y
2008年03月08日 11:57| トラックバック (0)| コメント(0)
なんて、
夏休みの課題図書の「トルストイ」みたいなことを言う。
食べるために?
眠るために?
いやいや
「しゃべる」ために、もっとベタに言うとコミュニケーションするために
生きてるのよ!
ほんとよ、、しゃべると、、というのは鳥がさえずるのと同じなんだけど、
でも
「思い」をこめたりもするけれど。
あとね
大阪のある大学の構造主義の第一人者が
朝日新聞の記者に言ったこと、、、
あんたら朝日の家族像って、、家族をテーマにした記事を連載してるらしいんだけど、
大間違いよ。
家族に「愛」たら「絆」たら
ベタベタの臭い認識を、いつまで持ち続けてるわけ?
家族は「儀礼」をしあう共同体の最小単位よ。
だいたい
ニンゲンはひとりで生きてけない
だから共同していきる
その共同体のいちばん小さいのが「家族」
そこに愛もとめてどうすんの?
おはよう!
ってパパが言ったら
おはよう!
と娘が還すのが儀礼。
「愛してる?」って訊かれたら
「愛してる」と答えるのが儀礼だよと、
おっしゃってました。
ぼくは
肯定も否定もしないけれど、
。。。
j<dypyw@dq,
ま、新鮮でしたね。
中心に「愛」はあると思うよ、、しかしそれを表層で、大声で叫ぶ、最近の日本のラップとかは、かっこわるいです、というか、まるでものを考えておりません。「愛」の語り方は、基本、ささやくように、です。Y
2008年03月07日 09:28| トラックバック (0)| コメント(0)
今日は3月6日、、、サムい日。
というような
数字の語呂合わせが好きだ。
いつもクルマに乗っているとき、ナンバーを見て、遊んでいる。
このあいだなんか
3756
ってのを見て、笑えなかった、、あえて書かないけどわかるよね?
あときのうなんか
単純だけど
1919
イクイクで笑った! (泣くなよ、たった一度失敗したぐらいで!)
1493
こういうのも
イシグミ=石組みと読み替える。
うちのくるまなんか、
番号は個人情報で言えないけど
「サンキュー21世紀」だよ。なんじゃそれ? っていわないで(笑)。
きょうはお客様訪問が3件で
多忙です。
ま、営業ですから!
t@yf@.dtuekq@
がんばるのだ。Y
2008年03月06日 09:18| トラックバック (0)| コメント(0)
さっき放送大学を見てた。
そしたら
欧米では
いま
歴史的文化財のアーカイブ化、
デジタルアーカイブ化が
恐ろしいスピードで推進されているという。
もちろん
国家がお金を出す。
日本はダメだと。
欧米に比べ20年、遅れていると。
どうやら
デジタルにして未来に残す理由は
これまでアーカイブとは「蔵」であり
保存、貯蔵していくためのモノだったが、、、
デジタル化することで
すぐに引き出して閲覧できる!
つまりは、すぐに「使える」蔵の登場、とゆうわけだ。
ポストモダンの考え方も
同じ。
組み合わせ、引用、順列、混沌、ごった煮...
そのためには
すぐに「引き出せる」「使える」状態にしておくことが
肝要。
ま、かなりデジタルに肯定的な見方を
しているとは思うが、
「使わない手はない」ですね!
また
ほんとうに
いま(このくだらない情報化時代に)
カルチャー=文化の栄華がヨーロッパやアメリカで
目論まれているのだとしたら
すばらしいです。
「お金儲け」だけの人生、
「食べていくために働く」だけの生活、
「家族を養うために自分を殺して」生きる、、、
そんな側面から
切り離された
「なにかをつくる」
「なにかに嵌る」
というような文化=生きること、
創造的な、人生。というのが、、、
たぶん、本来の
人間性とか尊厳とかの礎(いしずえ)、
であり
生きる歓び、
なのだとしたら、うれしいな。Y
(文化=人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体、、そして「文」を「化」するということ、文=レトリック、であることを付け加えておく)
2008年03月05日 21:14| トラックバック (0)| コメント(0)
一橋大学のH教授が
十年前は「経済成長」
が
大前提だったのに、、
いまの学生の論文のテーマは
「ワーキンクプア」
「格差社会」
「貧困」
「年金問題」
「希望の持てない若者達」
というようなものばかりだと嘆いていた。
いい加減、先生も、いやになってるらしい。
画一化だよね。
ネットが多様な情報を流しているように見えて
受け取るほうは
「悲観的な思い」しかしていない。
これってさ、
意味ないじゃん!
d@)4-4c4xdww@m
情報操作してでも、いいから
「みんなを明るくする」
「ちゃんと未来は輝いてる」
「貧乏人に生まれても悲観すること無いんだよ」
「一流大学じゃなくても幸福になれる」
そいうとこ
ちゃんと確保してください、石原(意志ハラハラ)都知事、だめな服だ(福田)首相、、ムリか、、、。
ジョンレノンミタイナ、ポカーンと浮いた
けど
インパクトある人っていないよね。
ポカーンとしたカリスマ、、出でよ!
Y
2008年03月05日 09:16| トラックバック (0)| コメント(0)
わかりにくい問題を
わかりやすく説明する。
わかりにくい哲学・現代思想を
やさしい言葉に置き換えて、誰にでも分かるように説明する。
パソコンが誤差作動を起こしたとき、パニックになるところを
「わかっている人」に訊いて、原因を究明して、直してしまう。
ややこしくなった人間関係を
スッキリさせるために、、、、、、、、、
第三者を交えて話し合う。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
夢を見ているとき
はっと目覚めて、
あっ、これは夢だったんだとわかる瞬間、
満員電車から降りるとき
ひとこと「すいません」というと
パッと道が開ける
あめの日に傘を差すだけで
身体の濡れない部分ができる。
勇気を出して「ごめんなさい」
というと
和解する場合がある。
緻密な理論に酔ってしまい
抜けられなくなったとき、直感がパッと閃く!
いっけん関係の無いような
共時性が
じつは答えの種である
「ありがとうございます」
と
言ってみる。
みんなに言ってみる。
じぶんにも言ってみる。
「ありがとうございます」。Y
2008年03月04日 09:16| トラックバック (0)| コメント(0)
土曜日テレビで
周防監督の「それでもボクはやってない」見ました。
検察官が国家権力の側なのは
知ってましたが
裁判所も「保身」のカタマリだなんて、、、
いやぁー、ぼくが幼いだけかもしれませんが
幻滅しました。
しかし
正しいことをやる裁判官は
左遷されるそうで。
あの映画のテーマである
「罪を犯していない人を裁いてはならない」
裁判官の仕事は、それだけである
という
シンプルなことができない「構造」になってる。
哲学の側から「構造主義」「ポストモダン」と騒いでも
現実に
繁栄されなかったら
ただの学問のための学問ですよね。
大学は
さいきんは企業とつるんで「営利」を目的としたりしてますが
それもどうかとは思いますが
悪い世の中に効く「学問」じゃないと
東大だろうが兄弟(京大)だろうが意味無し、です。
「社会構造」対「個人」という
考え方がそもそも違うんだろうけど
ぼくはやはり「個人」しか何も変えなれない、と思います。
カリスマが個人を引っ張ると
ファシズムみたいに行きがちではありますが
チェゲバラのような人もいたわけですし
現在もいると思います。
そして「権力」の正体がハッキリしないのも
問題ですね。
権力=国家、とはとてもいえないでしょ。
福田首相に「国家権力者」の自覚なんてないと思います。
官僚?
それぞれが、権限は持っているけれど
やはり「権力」というのの正体は、そもそも曖昧です。
ただ
そいつが世の中の不条理の源泉であることだけは確かで
わたしたちは
どんなことがあっても「それではボクはやってない」と言うべきだし、
「小さいことだけど、わたしはこれをやる!」と
行動するのです。Y
2008年03月03日 10:05| トラックバック (0)| コメント(0)